物心ついた時から生き物が好きだった私の幼少期の趣味は「虫捕り」でした。今から30年以上前、札幌に住んでいた私
は毎日数km離れた小学校まで徒歩で通っていました。通学路に併走する線路にSLが白煙を上げて走っていた時代のことです。学校からの帰り道、チョウチョやトンボにバッタなどを見つけては追いかけていました。そんな私が捕まえてみたいと切望していたのはトノサマバッタでした。たまに見かけるものの、その跳躍力というより飛行能力に翻弄されて追いかけても追いかけても捕まえられず、最後には視界のかなたに消えてしまいます。徹底的に追いかけた結果、草まみれ・土まみれになって家に帰り、ひどく母親に怒られたことは今でも鮮明に思い出されます。


当事、先生からも親からも「寄り道」はいけないことと言われておりましたが、この寄り道の経験が私の理科教員としての基礎を築いているという事を考えると、私にとっての貴重な経験のひとつであったと言えます。そして、こうした経験から私は「一見重要ではないようにみえる時間の過ごし方が実はとても重要である」と考えるようになりました。

「余暇」という言葉には「余」という漢字が使われていますが、「仕事」の合間の時間=自由に使える時間という意味においては、むしろそちらがメインの時間と言っても良いほどでしょう。私は、これまで普通高校、通信制高校、特別支援学校の教育現場で教員として約20年間勤務してまいりましたが、障がいの有無にかかわらず、誰にとっても「余暇」を含めた生活の充実を考えることが重要だと考えております。

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かつて養護学校の卒業生から「休日がひまでしょうがない」と相談されたことがあります。当時忙しく働いていた私には羨ましいくらいでしたが、よく聞いてみると何をして良いかわからない、色々したいことはあっても出来ないということで、それがとても切実な悩みであることがわかりました。「何かしたいことはあるか」と尋ねると「パソコン、旅行、つり、スポーツ・・・」次々と出てきます。出来ない理由については、金銭的な問題、時間の制約などを挙げていましたが、決定的だったのは、始める前にあきらめてしまい「これをしてみたい」と誰にも伝えることが出来なかったことでした。

制度的なものを見ても、相談支援や移動支援など、余暇の充実に利用できるものはありますが、余暇活動や趣味の拡充などを目的とした支援に関しては不足していると常々感じます。基本的に自ら申し出なければ何も始まらず、かつ手の届く範囲に魅力的な選択肢が無い場合は、前述の彼のような状況になってしまいます。kitemita.laさんの障がいを持った方へのスポーツ振興の取り組みは、生活の充実にとって有効な選択肢であると感じております。障がいを持った方のスポーツ人口が増えることで、さらに後に続く方々にとってのハードルも下がり、しだいに良い環境が整うことと大いに期待しております。

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北海道真駒内養護学校
養護教諭 渡部眞一